花嫁の父は顔をほころばせながらも、小さなため息をついた。
「ナショナルデーが中断することなく続いていたなら…」
彼はヤンゴンに出てきて数十年になるが、今でも家庭ではモン語を話す少数民族・モン族だ。3人の娘はヤンゴンで育ち、3人ともミャンマーで7割近くを占めるビルマ族の男性と恋に落ちて結婚。この日は末娘の結婚式だった。娘が自分で選んだ夫だし、ましてや同じ仏教徒。ビルマ族だからと異議を唱える気はない。しかし、「1人くらいはモン族と結婚してくれると思っていたのに」というのが本音だ。
▽民族ごとの日程
ミャンマーは国内に135もの民族を擁する多民族国家だ。最大都市ヤンゴンには地方からの移住者も多く、さまざまな民族が入り乱れて住む。各民族には、国家のナショナルデーとは別に、その民族にとって要となる日を民族のナショナルデーに定め、この日には同族が集まって祭りを開く。
この催しはヤンゴンはもちろん、海外のミャンマー人コミュニティーでも実施。東京ではシャン族やカレン族などが行っている。特に海外では、アイデンティティー発揚の場であるとともに、軍事政権時代は民主化を訴える場としても活用されていたようだ。
▽15年間の中断
モン族は、かつてモンの王国が首都を置いたバゴーの創設神話に基づく日をナショナルデーに定めたが、伝統暦と西洋暦のずれもあって毎年変動。2017年は2月12日だ。
当日は若者を中心にした有志が、会場の特設ステージで芝居や伝統舞踊を披露。郷土料理や民芸品を扱う屋台もずらりと並ぶ。ヤンゴンに住むモン族は4万人ほどといわれるが、他民族や外国人も訪れて大変なにぎわいとなり、周辺道路が渋滞するほどだ。
モンナショナルデーは1947年に始まった。しかし一時期、軍事政権が民主化デモを恐れて公共の場での集会を禁止したため、どの民族もおおっぴらにナショナルデーを開催できない期間が15年ほど続いた。この間も海外では回を重ねていたし、ヤンゴンのモン族の場合、内輪でほそぼそと行っていた。
それが、前政権による民主化への方向転換で2012年に復活。モン族も、数万人を集める大規模な祭りを再開させた。
▽祭りは出会いの場
同胞が一堂に会する異郷でのナショナルデーは、同族男女の出会いの場でもある。舞台に出演する若者たちなら、練習などで継続的に集う機会も多い。しかし、長く途絶えた期間に適齢期を迎えた世代では、身近な異民族の異性と結婚してしまうケースも多かったに違いない。他の民族でも似たような状況だっただろう。
集会を禁止した軍事政権が、異民族間の結婚促進という効果を意図していたとは思えない。しかし結果的に、花嫁の父の嘆きをよそに、この間に異民族同士の結婚は進んだのではないか。これがミャンマーの将来にとって吉と出るか否と出るかは、今は誰にもわからない。
共同通信:47News デジタルEYE 1月24日配信分