谷口 輝世子

2019年3月10日4 分

トランスジェンダーアスリート

スポーツ用品メーカーのナイキがトランスジェンダーアスリートをCMに起用して話題になったことがある。2016年のリオデジャネイロ五輪中のことだ。

起用されたのは、米国人のクリス・モージャーさん。バイクとランニングで速さを競うデュアスロンの選手である。モージャーさんは、女性として生まれたが、性自認は男性。ホルモン療法を受けて身体も男性になった。2015年には米国男子としてデュアスロンの大会に出場し、好成績を収めている。 

モージャーさんを起用したナイキのCMは概ね好評だった。女性として生まれたトランスジェンダー選手が、他の男性選手よりも好成績を収めたことを、多くの人が賞賛したからだろう。

しかし、全てのトランスジェンダーが問題のない競技生活を送っているわけではない。

テキサス州の高校レスリング大会に、女性として生まれたが性自認は男性の選手が出場した。この選手は、身体的にも男性になるためにホルモン療法を開始していたが、女子の部に出場して優勝。対戦相手側からブーイングされた。トランスジェンダー選手は男子として出場することを望んだが、テキサス州の運動部規則がそれを認めなかった。出場規則が整備されていないことで、男子に移行中の優勝者も、女子の対戦相手も苦々しい思いをした。

モージャーさんとは逆に、男性から女性に移行した選手が、女子として出場することにも風当たりは強い。ホルモン療法を受けていても、男性であった時期に成長した骨格や身長によって、他の女子選手よりもやや有利になることがあるからだ。

しかも、男性から女性になるために、ホルモン療法を受ける選手は、難しい時期を乗り越えなければならない。アスリートはより強く、より速く、を目指す。しかし、女性になるためのホルモン療法を始めると、力強さやスピードを失う。男性から女性になったアスリートはどのような葛藤を乗り越えてきたのか。私はその答えを探すためにカナダのトロントへ出かけた。

カナダ女子プロアイスホッケーリーグのトロント・ファーリーにジェシカ・プラットという選手がいる。彼女は男性として生まれたが性自認は女性。高校卒業後にホルモン療法を受け、身体的にも女性になった。ちなみにトロント・ファーリーでは、アイスホッケー女子日本代表の鈴木瀬奈のチームメートでもある。

プラットは多くのカナダ人と同じように、裏庭に作ったリンクで子どものころからアイスホッケーに親しんできた。しかし、高校に入ったころから、自らの性別に疑問を持つようになった。男子生徒としてアイスホッケー部で活動をしていたが、何とも言えない違和感があった。

2007年に高校を卒業し、自分と同じような人がいるのではないかと調べ始めた。家族にも気持ちを明かした。2012年からホルモン療法を開始。そして、2016年に、カナダの女子アイスホッケーリーグに選手として参加することを決意。トライアウト(入団テスト)を受けて、トロント・ファーリーに入団した。

同リーグには、トランスジェンダーの参加規則がある。ホルモン療法を受け、ホルモン値が女子選手の範囲内を維持していることなどが条件だ。プラットはこの条件を満たしており、プロの女子選手として試合に出場している。

プラットは、男性から女性へ移行していくホルモン療法の日々をこのように説明してくれた。「おかしな感じはあった。スピードは少し遅くなり、以前のような強さがなくなり、筋肉の回復にも時間がかかった。今までできていたことができなくなった」

しかし、これこそが心と一致した自分の身体でもあった。「自分の身体を学び、自分の身体に何を期待するのかを学び直した」とプラット。そこから、これまでよりも熱心トレーニングを始めた。以前の身体であったときに出来たのに、と思う瞬間はないのだろうか。彼女は「もう、私にはどうでもいいこと」だと言った。

私が取材した試合では、彼女は出場機会がなかったが、リーグにもチームメートにも全く自然に溶け込んでいた。プラットがトランスジェンダーであることを公表したのは2年目のシーズンだったが、ネガティブな声よりも、サポートする人たちが上回っていたようだ。トランスジェンダー選手のプレーする権利を保障するカナダの女子アイスホッケーリーグの姿勢が大きいのだろう。プラットは「今はとても素晴らしい気持ち」とすがすがしい笑顔だった。

『体育科教育2月号』大修館書店に掲載

#ホルモン療法 #トランスジェンダー #アスリート

    1370
    0