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岩本順子:【世界から】日本人俳優が欧州で原爆の悲劇を訴え続ける理由 ローマ法王の広島・長崎訪問にも注目


写真:「ヒロシマ・モンスターガール」を演じる原サチコさん ©Katrin Ribbe


世界に約13億人の信者を持つキリスト教ローマ・カトリック教会のトップであるローマ法王フランシスコが、今月23日から4日間の予定で日本を訪れる。ローマ法王としては38年ぶりの来日で、被爆地である広島・長崎への訪問が予定されている。


就任後の2014年11月には「人類はヒロシマ、ナガサキから何も学んでいない」と警鐘を鳴らし、来日直前の18日にはビデオメッセージで「核兵器が二度と使われることがないように」と訴えるなど、広島と長崎に対して強い思い入れを持つと言われるローマ法王が、現地でどんなメッセージを発するのかを世界中が注目している。


筆者が暮らすドイツにも、人類史上最悪の選択といえる原爆投下が引き起こした悲劇を伝え続けている日本人女優がいる。

原サチコさんだ。


▽「ヒロシマ・サロン」


今年6月、当時「ハンブルク・ドイツ劇場」の専属女優だった原さんの新作ソロ・パフォーマンス「ヒロシマ・モンスターガール」を見た。原さんは01年に渡独。ドイツやオーストリアの劇場で活躍し、現在はスイスにある「チューリヒ市立劇場」の専属として活動している。


原さん扮(ふん)するお下げ髪にモンペ姿の少女は1945年8月6日、広島に投下された原爆の被害にあう。理不尽で悲惨な出来事は、舞台に投影された映像や文字、照明と音響によって再現され、観客を〝あの日のヒロシマ〟に引き戻す。熱線を浴びた少女は、一瞬にしてその美しい容姿を失う。鬼の面をつけた原さんの演技には、ケロイドを負い、苦しみ続けなければならなくなった少女たちへの思いが込められている。およそ30分のパフォーマンスは、もう一度見たくなるハイレベルの作品であり、「ヒロシマ」がいまだ終わっていないことを強く意識させた。


パフォーマンスの後には「ヒロシマ・サロン」が開かれた。このサロンは、2011年に、原さんが、広島市と姉妹都市であるドイツのハノーファー州立劇場専属だった時に始めたものだ。


原さんは神奈川出身。ハノーファーに住んだことがきっかけで広島に関心を持つようになった。小説家で劇作家の井上ひさしが広島で被爆した人々の姿を描いた、08年初演の朗読劇「少年口伝隊一九四五」を同劇場のレパートリー作品に育て上げただけでなく、演劇では伝えきれないことを「ヒロシマ・サロン」で、さまざまな角度から紹介してきた。重いテーマを扱うが、堅苦しい場にならないよう配慮し、文学や音楽、食などの文化的要素も取り入れ、毎回異なる形式で実施してきた。やがて「ヒロシマ・サロン」は独立したイベントとなり、今年からはこのソロ・パフォーマンスを組み合わせている。パフォーマンスには、原さんが9年にわたり広島について取材した知見がたっぷり込められている。


6月に開催された「ヒロシマ・サロン」はトークショー形式で、インガ・ブルームさんとハイデマリー・ダンさんがゲストに招かれていた。ブルームさんは17年のノーベル平和賞を受賞した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」ドイツ支部を創設した1人で、「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」にも参加している神経科医。ダンさんは「ドイツ緑の党」の元連邦議会議員で長年、反核運動に従事している。話題は、ドイツのラインラント・ファルツ州にあるビューヒェル航空基地に貯蔵されているという米軍保有の核兵器にも及び、ダンさんは7月にビューヒェルで行われた反対集会への参加を呼びかけた。原さんは、ビューヒェルの集会にも参加し、パフォーマンスとワークショップを行った。


▽ハンブルクでも追悼


筆者はビューヒェルの集会には行けなかったが、アーティストのアクセル・リヒターさんが8月6日から9日に掛けてハンブルクの目抜き通りである「メンケベルク通り」に出現させた「ヒロシマ・ナガサキ広場」に出向いた。


リヒターさんによると「無垢(むく)」を象徴するという、白い砂で覆った円形の広場にも原さんの姿があった。原さんはICANハンブルク支部などが初日に企画した「広島と長崎が警告する」と題した集会に、ハンブルク副市長やリヒターさんらとともに招かれ、「少年口伝隊一九四五」のドイツ語訳の抜粋を10人の仲間とともに朗読。原爆の悲劇を声ならではの表現方法でまざまざと再現してみせ、集まった市民とともに追悼と祈りの時を共有した。


「東西冷戦時代」だった1984年、筆者は西ドイツ=当時=に移住した。79年に、ヨーロッパの核軍縮を進めるために中距離核ミサイルを配備するという矛盾することを決定した、いわゆる「北大西洋条約機構(NATO)二重決定」が行われた影響で、反核・反戦運動が盛んだった。そのピークは83年10月22日で、ハンブルクでは約40万人がデモを行い、中距離核ミサイルの設置に反対した。当時、首都が置かれていたボンにもおよそ50万人が結集、ハンブルクからボンまでデモに出かけたという友人もいる。ドイツ全体で150万人が参加したという記録がある。


その後、87年に中距離核戦力全廃条約(INF条約)が調印され、「核無き世界」への一歩を踏み出した。しかし、今年2月に米国がロシアに条約破棄を通告し、義務履行停止を表明すると、ロシア側も同様に義務履行を停止、条約は8月2日に失効した。「ヒロシマ・ナガサキ広場」の集会では、ICANハンブルク支部が、INF条約失効がもたらす危機感を訴えていた。


▽脱原発は推進、でも反核は…


ICANでは、現在ビューヒェル航空基地に、米軍が所有する核爆弾B61が20個保管されていると推測している。ドイツ政府はNATOの一員として、「ニュークリア・シェアリング(核兵器の共有)」に加担しているのだ。米国側には2024年までに、B61を最新型のB61―12に取り換える計画があるという。


関係者の話によると、ビューヒェルの核兵器の存在については、ドイツ人の間でもあまり知られていないと言う。ドイツの有力ニュース週刊誌「デア・シュピーゲル」の記事「ビューヒェルの核兵器」(2月6日付)には「連邦政府は公式には詳細を明らかにしておらず、連邦議会も情報を得ることはできない」とあり、「公然の秘密」と言う言葉が使われていた。

17年、国連において核兵器禁止条約(TPNW)が賛成多数で採択された。この条約は日本が交渉に参加しなかったことで知られる。ドイツも核保有国とともに交渉をボイコットした。現在、署名国(地域を含む)は79、うち33が批准した。批准国が50に達すれば、条約が発効される。


ドイツの現政権は、22年末までの原発撤廃を決定しているが、核兵器禁止条約には署名していない。これに対し、ICANは、他国の核兵器を自国内に保管している場合も、期限内に撤去することに同意するならば条約批准は可能と訴えている。


▽今こそ「ヒロシマ・ナガサキ」の悲劇を


現在、ドイツでは気候変動問題への取り組みが盛り上がりを見せている。その一方で、核の脅威は以前ほどには意識されていないように感じる。74年前に起きた「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下」やそれに続いた冷戦を知らない世代には、実感が湧かないというのも事実だろう。原さんも「原爆のことは、こんなにも知られていないのだという現実を突きつけられると、いくらやっても追いつかないような気持ちになる」。と漏らす。

しかし、核の脅威が忘れられつつある今こそ、パフォーマンスを通して広島での出来事を伝え、サロンで語り合う機会を提供している、彼女の活動に注目すべきだろう。原さんの気迫のこもった演技を見ながら、そんな思いを強くした。(ハンブルク在住ジャーナリスト、岩本順子=共同通信特約)



写真:「ヒロシマ・ナガサキ広場」で仲間と井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」のドイツ語訳抜粋を朗読する原さん(左から4人目)


2019/11/21 11:00 (JST)11/21 19:46 (JST) 公開©株式会社全国新聞ネット


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