top of page
検索
  • 岩澤 里美

【世界から】スイス、老舗高級時計店が突然閉店した理由とは


スイスを代表する時計店だった「トューラー」。チューリヒ市内には、いまもトューラーの名を冠した時計がある=トューラー時計宝飾店提供

ロレックスにオメガ、パテック・フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタン…。スイスには高性能でデザインも美しい高級時計を製造するメーカーがあまたある。安い物でも数十万円、高い物になると1千万円を超えるものも珍しくない高級時計は、地元だけでなく世界中の人を魅了しており、スイスを訪れた国外観光客も「スイスに来たからには」と買い求めるほどだ。もちろん、日本人も例外ではない。

製造するメーカーの多くはスイス西部に多いものの、取り扱う小売店は全国にある。中でもスイス最大の都市で、国際空港や鉄道のターミナル駅があるチューリヒには時計小売店が目立つ。その中の一つ、創業から130年以上という老舗「トューラー時計店」が昨年、突然閉店して世間を驚かせた。

▼天皇陛下もかつてご来店 

チューリヒ中央駅から伸びる「駅前大通り」に沿って歩いて十数分のところにあるパラデ広場は、金融とショッピングの中心地だ。人通りが絶えないこの一等地に111年前、2代目のトューラー氏が店を移した。それ以来、「トューラー」は時計店の代名詞となった。スイス製の腕時計や置き時計を販売するだけでなく、自社ブランドのモデルも作った。品ぞろえの豊富さとサービスの高さが評判を呼び、ほどなくチューリヒを訪れた世界の要人たちも店に立ち寄るようになった。若き日の天皇陛下も、チューリヒ国際空港にあったトューラーの支店で時計をご覧になったことがある。

5代目のフランツ・A・トューラーさんは、スイスや米ニューヨークで、主に時計販売の経験を積み、2004年から家業を継いだ。若いトューラーさんにはより多くの経験が必要ということで、経営は同店の元時計職人だったアンドレアス・コブラーさんに任されていた。コブラーさんは宝飾職人の勉強をしてから時計作りを学び、同店で働く前は時計産業の中心地・ラショードフォンにあって世界的に知られる「国際時計博物館」で古い時計を修復する仕事をしていた。時計に関してはプロ中のプロだ。

パラデ広場という最高の立地に加え、接客もアフターサービスもとても優れている同店には、買う人も見るだけの人も含め1日数百人が来店していた。それゆえ、この店がなくなることを想像した人はいなかったに違いない。この背景には、時計産業のしくみと時代の流れがある。

▼販売そのものがストレスに

さまざまな国内ブランドの高級時計を販売するスイスの時計店は、いわばスイス時計産業の「顔」だ。スイス内でしか買えないモデルもたくさんあって、さすがはスイスという印象を与えることが期待されている。それは当然だが、時計メーカーからの要望でだんだんと売ることに重点が置かれ過ぎるようになってきた。

コブラーさんは、内情を次のように話す。

「どのメーカーも、トューラーのような大手の小売店と契約を結んで、多く売ってもらえば、メーカーが得る利益が多くなるように取り決めています。小売店も、たくさん時計を売らなければ利益にならないので、販売数を増やそうと必死になります。そのほか、どのモデルがどれくらい売れているかなどの細かいデータを報告することも契約にあります。閉店前の5、6年は、従業員たちも売ることに専心して、私も9割方をこの仕事に費やしていました」

時計がたくさん売れていたときは、よかった。中でもロシアの観光客たちは非常に個性的で高額なモデルを好んで買った。しかし、為替相場でロシア通貨が不利になったとたん、買わなくなった。団体で来店する中国の観光客は、20人いたら40本以上売れるのは当たり前といういわゆる「爆買い」をしたため、文字通り飛ぶように売れた。ところが、16年に中国政府が国外で購入した高級品に対して高い関税を課すよう政策が変えたことで客足が途絶えた。

スイス人客の買い方にも変化が表れた。数千人いる得意客、そして潜在的な新規の客が、各ブランドが次から次へと出す新商品にあまり魅了されなくなってきた。コブラーさんいわく、買う側が欲しいと思うような時計ではなく、目新しさで引き付けようとする時計が増えた。クラシカルな時計に精通したコブラーさんから見ると、「味わいのない時計」が多くなったのだ。加えて、15年に発売された腕時計型端末「アップルウオッチ」も影響を与えている。事実、コブラーさんの周りにいる時計好きの中でさえ、アップルウオッチを持っている人がいるという。

さらに、他の店も同じようにたくさん売ろうとするので競争が激しくなり、ストレスは増した。利益に陰りが見えたのは仕方なかったのかもしれない。

▼宝飾店として再出発

コブラーさんは限界まで頑張ったが、落ち込んだ店の利益を向上させることもはや無理だった。店じまいを決めると、20年前から続けてきたオリジナル高級宝飾品の最終セールをした。ダイヤモンドや真珠、サンゴなど、世界の最高級レベルの宝石で、デザイン性にも優れたトューラーのネックレスや指輪などは定評があって、毎年クリスマスの時期にとくによく売れていた。最後のセールは大盛況だった。

閉店後には職人に戻って、フリーランスで働くことをほぼ決めていたコブラーさんは、最終セールの反響を見て「宝飾品なら、やっていけるかもしれない。自社ブランドだから利益も十分見込める」とひらめいた。そこで、トゥーラー本店のすぐ近くにあった倉庫をファッショナブルな宝飾店に改装。「トューラー」の名前を残して再出発することにした。

新生トューラーでは従業員こそぐっと減ったものの、皆が宝飾の制作、修理、宣伝、販売に精力的に取り組んでいる。パラデ広場時代には無理だった、1人ひとりの客により時間をかけるという接客ができるようになって、小さい店ならではの持ち味を出し始めている。

「路線変更は悲しいことでありません」。コブラーさんはそう語った上で「時計メーカーが利益重視になり、時計職人についても、私が学んだ時代のように何年もかけて養成した人を求めなくなって、特定の技術を半年間学んだ人で事足りるような体制に変わっています。この変化を一つの事実として受け止めています。トューラーは新しい歴史を築いていき、これからもたくさんの人に愛される店でいたいと思っています」と力を込めた。(スイス在住ジャーナリスト、岩澤里美=共同通信特約)

共同通信 47ニュース 2018年10月2日配信分

新生トューラー内の工房=トューラー時計宝飾店提供

今年9月にトューラーは宝飾店として再出発した。後列右端がアンドレアス・コブラ―氏=トューラー時計宝飾店提供

閲覧数:77回0件のコメント
bottom of page